風刺のきいたセリフを耳にしてスッキリした経験をお持ちの方は、多いのではないでしょうか?
日々のモヤモヤを解消する歌を手作りの『カンカラ三線(サンシン)』とともに歌う演歌師、
岡大介(タイスケ)さんにお話をうかがいました。

冒頭から
♪コロナ来て五輪が無くなった。呑み屋の灯りが無くなった。俺の仕事が無くなった。弱ったね~。ウィルス戦線 異常あり♪
と、軽快な節回しで歌ってくださった岡さん。

日本で唯一、プロとして活躍中の『カンカラ三線の演歌師』とのこと。

この岡さん、かつてはフォークシンガーを目指し、ギブソン・J-45という30万円はするギターを使って歌っていらっしゃいましたが、その当時は、食べていけなかったそうで、「材料費3000円の手作り楽器に変えたら、こちらは仕事になりました」と、自虐ネタをご披露くださいましたが、『演歌歌手』ではなく、『演歌師』というところが大事。

一般的には、『演歌』といえば、北島三郎さんや氷川きよしさんたちが歌われているものを思い浮かべてしまうのですが、もともとは、岡さんが歌われているような風刺的な内容を盛り込んだ演説調のものが『演歌』だったのだそうです。

本来の『演歌』は、明治時代の自由民権運動の時、政府に弾圧された若い人たちが政治風刺として立ち向かったツールとなったのが、『演説歌』=『演歌』。
「これ知っている人はもう生きてないですね」と岡さん。

その岡さんが初期のころ目指していたのは、フォークシンガー。
好きだったのが70年代のフォークソングとのこと。
その年代のフォークソングの中でも政治風刺が歌われています。
しかし、Bob Dylanのように、アメリカの楽器を使って歌われていたので、本来の日本の叫びを日本の楽器で日本の歌で歌えないかなと岡さんは考えたのです。
そこに、カンカラ三線との出会いがあって、今のスタイルが出来上がるのです。

そして、このカンカラ三線、沖縄の方のご苦労と生き方なくしては誕生していないとのこと。
なんと、戦後に沖縄の方々が米軍の捕虜になり、楽器を全て取り上げられるという悲しい事件があったことから生まれるのです。
沖縄の方々はどんなに苦しい時も歌を忘れたくないという思いを持ち続け、米軍のベッドから三線の棹(さお)を削り出し、パラシュートの紐を弦に、胴の部分には配給の缶詰の空缶!
そうやって出来上がったのが、カンカラ三線なのです。

「何があっても歌を絶やさない!」これが、沖縄の叫びです。
その沖縄の叫びを日本の叫びとしてカンカラ演歌を歌おうと思われたのが、岡さんの演歌というわけです。

こうした背景があることを知ると、ますます、歌声から受け取る想いに大きな意味と価値を感じます。

岡さんが歌われる『演歌』には、明治・大正時代のものを再現して歌われるものも沢山あります。
たとえば、明治時代、演歌師の草分けとして活躍されていた添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)さんがスペイン風邪の時に作られた『はてなソング』という歌があります。

オリジナルの歌詞は、
♪青い顔をして死神に、取り付かれたような顔をして、流感避けのマスクして、フラリフラリと歩いてる。はてな?はてな? ♪

これを現在の言葉で歌うと
♪後手後手対策 聞き飽きた。煽り庶民を困らせる。丸投げ逃げ出し政治家に、つけるワクチンないものか? はてな?はてな?♪

現代語は岡さん作詞です。
現代の歌を歌うのが本来の演歌だと岡さんはおっしゃり、二つの歌詞で歌い比べてくださいました(動画では、歌のバックに、添田唖蝉坊さんの碑の前で歌っていただいた時のスライドを流しているので、ぜひご覧くださいませ)。

辻説法という言葉の通り、路上でポンと歌える歌。手軽さと面白さと、ピリッと効いた風刺が入っているところが独特です。
浅草寺は観音様が有名ですが、弁天様もまつられています。弁天様は音楽の神様。
そこに添田唖蝉坊さんの石碑があると言うのも意味があるのです。
浅草にいらした場合は、観音様だけでなく、すぐ横にあるので訪ねていただきたいです。

最後に、12年前から続けているという、岡さんのカンカラ三線ライブのお知らせです。

日時:10月4日 (日曜日)18時スタート
場所:浅草木馬亭で「届け!演歌の風」

「〜ウイルス戦線異常あり!ヨワッタネ 添田啞蟬坊と馬場文耕 反骨芸能歌合戦〜」
というサブタイトルで、講談師の神田春陽先生をゲストにお呼びしています。
『馬場文耕』は江戸時代の講談師の方のお名前です。
この反骨芸能歌合戦は、かなり熱いステージになりそうです。
ぜひぜひ、応援に駆けつけていただきたいです!

詳しくは、動画をご覧くださいませ。