前回に引き続き、俳優声優であり、脚本も書かれ、演出もされる壤 晴彦さんに、日本人にとって、とても大切な話をお聞きしてきた動画、後編です。

つい先日、上演された「野菊の墓」
壤さんならではの演出で造りあげられた舞台は、今までの演劇とは一味違う出来栄え。
原作者である作家が紡いだ、日本語の美しさを大切にしていて、シンプルな舞台装置の中で演じる役者の方々の演技で、いろいろ想像をかき立てられるように感じられました。
どうしてこんな舞台が生まれたのかをお聞きしてみました。

「日本で、良い小説があったとしましょう。それをお芝居に書き換えるわけです。脚色という形で。そうすると大事なものがどんどん失われていく。というのは、せっかく作家が書いた良い文体、それがほとんど消えるんです。中には川口松太郎さんのような、セリフが素敵な作家さんもいらっしゃいます。もちろん彼は脚本も書きます。もともと、上演されるなんてことは想定もしないで書かれた文学作品の中の、素晴らしい文章っていうのはほとんど地の文なんです」と、壤さんはおっしゃいます。

観客の側からでは、想像さえしていなかったポイントかもしれませんが、おっしゃる通り、原作を下地に、脚本家が舞台として再構築していく過程で、作家の文体はセリフでさえも書き換えられていくことになります。
ましてや情景模写や心理描写として書かれた文章が、役者の方々の動きや、舞台装置といった目に見えるものに置き換えられていくので、文章としては跡形もなく消えてしまうことになります。

「たまらなく良い文書がありまして、どうしてもそれをお客さんに聴いてもらいたい。大体、脚色も失敗するんですよ。『だったら、もともとの文章でやればいいじゃん?』ということを考えました。日本には義太夫狂言という、文楽なんかを想定していただけると分りますけれども、歌舞伎でもそういう上演の仕方がありますが、義太夫さんがいて、地の部分を語って、もともとは人形がしゃべったところを歌舞伎に持ち込んで俳優さんがしゃべる、それを義太夫狂言といいます。『あの形があるじゃないか?』と……。日本人にはあまり違和感がなく聴いてもらえるはずだ、ということで、あの形に踏み切りました」と、壤さん

『あの形』というのは、『朗読』
なんと、原作の中のセリフ以外を、『朗読』という形で、観客は『文章を聴く』というスタイルなのです。

「『語り手』と僕らは言っていますけれども、語り手が義太夫のように小説の地の部分を読んで、台詞の部分だけを俳優達が演じるという形です。とてもうれしいお客さんのご意見としては、『語りが背景なんだ』というものでした」と、壤さんはおっしゃいますが、このご意見は、舞台を見ればすぐに実感できるはず。

約2時間の上演時間の中、舞台装置は一切入れ替わることなく、小道具や照明の変化があるだけなのです。
それなのに、『語り手』の方の朗読によって、みごとなほどに、色味や匂いや空気感が、何もないはずの舞台上に背景として創り上げられていくのです。

「能舞台というのは、何もないところですよね?そこに言葉とか音楽とか所作とか、それでもって全てを表していく。そういう考え方に近いかもしれません。いちいち背景を変える必要もない。そんなお金もありません。それだったら、照明さんとか大変ご苦労かけてますけど。『シンプルで存在感のある舞台装置を作ってよ』と……。『いっぱい道具』と言いますが、全くそれでやっております」と、壤さん。

予算がないのでとおっしゃいますが、そこを逆手に、いい感じの効果を生み出していて、見る側の想像力が掻き立てられます。

「想像力という意味では、本を読んで色々想像することに慣れる回路が必要です。お客様のほうに……」と、壤さんが言われるように、舞台という芸術が、より高いレベルで完成するためには、観客側のイメージの力は必要不可欠な要素なのです。

しかし、その『イメージの力』=『想像力』を育てていくためには、子どものころからの積み重ねが重要です。
その、大切な『教育』の現場が、ちょっと大変なことになっているというのです。

「今、童謡・唱歌、昔の歌が学校の教科書から消えてしまっています。子どもたちは、僕たちが習ってきたような『浜辺の歌』、『海』とか、『紅葉』とか、『スキー』とか、『村祭り』……そういった歌は全く知らないですよ。現代の子供たちは……。なんでそんなことになっているのかわからないんですが、深い企みがあるかもしれません。それよりもっと恐ろしいことが起きていて、古典・近代文学が学校の教科書から消えるんです。そういう方針がはっきり出ています」と、壤さんは危機的な状況を教えてくださいました。

これは、日本の文化や日本人の日本人らしさの根底を揺るがしていく大問題です。

そこで壤さんは、素敵なことを考え出されたのです。
「文化遺産として一番大事なものが言葉ですよ。いつの間にかそんなことになってしまっていて恐ろしいんですけど、我々もこういうことを伝えていかなければなと思っていますが、お金を払える子どもたちが少ないです。お芝居を作るってことが、ある程度、お客様からお代をいただかないと成立しませんので……もう無料で観せるしかないですから……。その子たちが払うんじゃなくて、『日本がそんなことになっちゃっていいの?』と思っていただける大人の人たちに基金を募るというスタイルを、我々が作ったんです。『認定NPO』という形になりました」

この『認定NPO』にお金を出していただくと、税制優遇が『ふるさと納税』のように受けられるという仕組みなのです。
この方法であれば、企業体でも参加が可能。
税金を納めたのと同じ扱いになりますので、ぜひともご検討いただきたいのです。

「お芝居で観ていただき感じてもらうのが一番良いので、そういう形で我々がスタートして、今そういう基金を集めています。つい最近、松山市で高校二年生に観せました。びっくりするほどの反響で、物凄く生徒さんが感動してくれました。『これは手ごたえがあるな』と……。これから大いにやって行こうと……。こういうコロナ騒ぎの最中ですから、これからもどんどん広げて協力者が必要ですけれども、無料招待で子供たちに観せていきます。後に『野菊』だけでなく『山椒大夫』とか『五重の塔』も観せていきたいと思います」と、これからの展開に大きな希望を語ってくださいました。

しかし、本当に言葉が持っている力は一見わかりづらいですが、とてもとても大きな力をもち、世の中の隅々にまで影響を及ぼすものです。
語彙力の豊富さは、人生の豊かさに通じます。

壤さんのように、言葉について誰よりも造詣が深い方のお力を借りて、日本語の崩壊に歯止めをかけていけたらと心から思います。

詳しくは動画をご覧くださいませ。

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