日本人にとって、『富士山』は特別な山であることは、あらためて口にするまでもないことですが、この『富士山』のスペシャルな姿だけを撮り続けている、『ときめきの富士』の写真家であるロッキー田中さんにお話をうかがうことができました。

富士山の写真というと、山岳写真のイメージですが、ロッキーさんの写真は全く違います。
その大半が早朝に撮られたという『富士山』の写真は、シルエットも色も『奇跡』という言葉がふさわしい、強烈な一瞬を写し撮った芸術作品なのです。

五反田にあるサロンでは、常時たくさんの作品が飾られているので、身を置くと多くの富士山に囲まれ、癒されます。
そして、ロッキーさんの『ときめきの富士』は、色鮮やかであり、自然の光が織りなす色彩が、こんなにも多くの色を発するのかとびっくりすること間違いなしです。

なぜこんなに色々な色が朝の光の中で撮影できるのでしょうか?

ロッキーさん曰く「日本語は本当に不思議で、一日の時間にいくつもの名前がついています。たいていの人は『朝・昼・夕方・夜・夜中』くらいを思いつかれるかもしれませんが、それだと想像力が乏しいです。まず、深夜から行くと、『深夜』『未明』『暁』『黎明』『夜明け前』『曙』、その一帯を『朝まだき』と言います。それから『早朝』、『日照』。夕方は、『宵の口』『日暮れ前』『黄昏』。全部で24個くらいあります。そして、時間の名前がついているものに、色の神秘が隠れていることに気づきました」とのこと。

プリズムを通して光を分解すると、七色の虹色が見えるように、元々光の中に全ての色の成分はあるので、時間ごとにそれぞれの色味が強調されるのでしょう。
その一瞬を逃さずに一枚の作品として完成させる力を、ロッキーさんはお持ちなのです。

とはいえ、この能力が開花した裏側には、ちゃんと準備期間中の数多くの努力があるのです。
普通に会社員としてお勤めされていた時期から、富士山の360度を、時間ごと・場所ごと・季節ごと・天気の変化ごとに歩いていらっしゃったそうです。

この途方もなく膨大なデータを身体にしみこませたことこそが、『ときめきの富士』をこの世に送り出す土台となっているといって過言ではありません。
どの季節のどの時間、どこの場所からの眺めが、どんな『富士山』の姿なのかが、ロッキーさんにはわかるのです。

24年前のこと。
当時のロッキーさんは、富士山の写真家になりたいけれど、それはかなり大変なことだと思っておられました。
富士山の写真を撮っている人はとても多く、富士山の写真というだけでは、その皆さんと同じになってしまうだろうとも思っていたそうです。

ただ、富士山の写真を見ると多くの人が『うれしい』『楽しい』『勇気が出る』『人にあげたくなる』『話したくなる』というような気持になるので、これらを一言で表せる言葉をずっと探し始めたことが、他の方とロッキーさんをまったく別のステージに誘います。

そんなある日、ロッキーさんは夢をご覧になったそうです。
ヒゲを生やしたおじいさんが膝をついて伸ばして、ロッキーさんにこう言いました。
「おお、わしも見とらん景色を、よう見とるのう」
笑ってそう言って、スゥっと消えていき、目を覚ますと、ある単語が浮かんできたのです。

『ときめき』

みんなの喜び、うれしさ、勇気、楽しさ、志、その全てを『ときめき』と言う言葉で表せると気づいたロッキーさんは、そこから『ときめきの富士』の写真家を宣言するに至ったのです。

「夢の中のあのお爺さんは、葛飾北斎さんだったのではないかと思います」と、おっしゃるロッキーさん。
その後暫く経って、富士山の近くで、『昇雲』と名付けられたこの写真が撮られました。
本当に真っ青な空の中に小さく富士山が写り、煙が小さくたなびくように薄い雲が立ち昇っています。
ロッキーさんが大好きな葛飾北斎さんの作品の一つに、北斎さんが90歳のときに描いた最後の絵があります。
それが『富士越の龍』
現在オルセーの国際美術館にあるそうですが、構図的には、ロッキーさんの写真とそっくりです。

「同じ場所で出たのです。だから夢の中に出てきたお爺さんは北斎さんに間違いありません」とロッキーさん。

そのことがあって、「これで生きていける」と思われたロッキーさんは、会社に辞表を書きました。
この時がまさに、『ときめきの富士山写真家』としての新たな生き方に足を踏み入れられた瞬間なのです。

そして、ロッキーさんが写真を撮るために決めた条件がひとつだけあるそうです。
「改造した車を富士山の麓に止めて寝泊まりして、三脚立てて富士山の絶景を撮るタイミングを今か今かと待ち続けたり、山に登って撮ったり、それは沢山の方々がやっています。でも私はそれはせず、富士山から100キロ離れた東京にいて、富士山が呼んでくれたら逢いに行くようにしました。北斎さんの絵をイメージをし、同じ情感が出れば、富士山の呼ぶ声が聞こえるはずだ」と、ロッキーさんは教えてくださいました。

勿論、こんなことが出来る背景には、それまで富士山の写真を撮るために歩き続けた経験があってこそです。
とはいえ、こうしてお話をうかがっていると、ロッキーさんご自身の地道な積み重ねが土台となっていることはもちろんですが、やはり『富士山』に選ばれた人なのだと強く感じます。

「生涯99作品と決めていて、今97作品まで来ました。でも、残りの2作品が難しいのです。みんなの目も肥えている、僕の目も上がっている、そうすると足踏みしながら入れ替えることも出てくるでしょう。一つ一つに言葉にできなかった物語がありますので、また話をします。ご期待ください」と、最後におっしゃってくださり、これから毎月、97枚のそれぞれの作品の誕生秘話をご披露いただけることになりました。

きっと私たちの知らない富士山の素敵なお話をうかがえると思います。
どうぞ、楽しみにしていてくださいませ。

■ ロッキー田中 ときめきの富士 公式ホームページ

● 皆が見たことのない、なんとも言えない素敵な富士山の写真が、ここにあります。

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