● 2019年9月1日放送
人間は、いくつになっても『学ぶ』ことがたくさんあります。
とはいっても、ちゃんと身につく『学び方』をしているかどうかは、別の問題。
くまさん流の『学び方』についてお話をお聞きしました。
何かを『学ぶ』時、通常は「勉強しよう」と人は考えます。
しかし、勉強するということは、頭で『学ぶ』こと。
頭で『学ぶ』ことも勿論大切なのですが、『学ぶ』ことのもっと本質的なことは、『理解』することです。
本当の『理解』とは、『学んだ』ことをちゃんと使えること。
頭の中へ知識を蓄えるだけではだめ。
そして、本物の『理解』のためには、頭ではなく、身体で『学ぶ』ことであるとくまさんはおっしゃいます。
学校での教育に慣れている現代人は、知識の詰め込み型の『勉強』しか知らないのです。
残念ながら、詰め込んだ『知識』の大半は、卒業後には消えてしまっています。
実際のところ、教科書の中に書かれていた内容は、一体どれほど覚えているでしょう。
中学受験の問題を今から解いてみれば結果は歴然です。
さらに、覚えていたとしても、『知識』は、『知識』でしかありません。
『知識』は、実際に使える状態になっていなければ、意味は半減しています。
使えるためには、『理解』すること。
身体で『理解』できた状態が『学んだ』といえる状態なのです。
くまさんが年を重ねて消化し、『理解』したと感じるものの中には、50代60代になってからのモノがたくさんあるようです。
本当の『理解』には、時間や経験という要素も必要になってくるのです。
例えば子育て。
「親の心子知らず」という諺がありますが、自分が親になってみて初めて分かる『親の気持ち』というものがあります。
さらに50代くらいになってみてから、自分自身の子育て経験を振り返った時、『親の気持ち』について、さらに深くわかったりするものです。
ゆっくりと時間をかけて消化しないと、本当の意味での『理解』には至らないのです。
また、身体で覚えたことは身につきます。
そして忘れないのです。
学校教育も、この身体で覚えるということを中心にすればいいとくまさんはおっしゃいます。
身体で『学ぶ』教育は、『知恵』を増やす教育です。
『知識』だけでは出てこないアイデアが、『知恵』があることによって生まれます。
工夫して発展させるところには『知恵』が必要なのです。
身体で『学ぶ』教育。
わかりやすい例は、泳ぎや自転車などです。
身体で覚えたことは、数年後のブランクがあっても忘れないものです。
そこに『知恵』という要素が加われば、本当に活きた『学び』となるわけです。
教科書から学ぶのでなく体験から学ぶのであれば、人生をも変えていくのです。
さて、ところでくまさんの玉手箱シリーズは、『私の所感』というA4一枚にまとめられた作品の中から選ばせていただいていますが、毎日コツコツ作られていく、くまさんの作品は今日現在3903枚。
約4000枚の作品の中には、似通った作品が登場することになります。
作品を見る側にとっては、『似た作品』として、ひとくくりにしてしまうかもしれないのですが、実際には、ちゃんと内容には進化があるのです。
そう、『理解』には、段階があるのです。
『理解』したつもり、『消化』したつもりであっても、実のところ段階があって、一段登るごとに見えるもの感じるものが変化するのです。
「咀嚼するのに時間がかかって 同じ内容のシートでもこういう解釈をしたら自分流に納得できた」というように進化していき、少しずつ作品のバージョンも変わるのだそうです。
食べ物も、口に入ってから、消化されて、自分の身体の一部に変化するまでには、時間がかかります。
『学んだ』ことも、咀嚼され消化され、身になるのには時間がかかって当然。
年齢を重ね色々な体験をすることで、やっと気が付く自分流の技こそが、かけがえのない『宝』となるのです。
詳しくはぜひ動画をご覧くださいませ。
○ あおいくまさんこと鈴木武さんと杉山明久実のコラボ
ブログです。
人生を素敵に生きるヒントがいっぱいの作品集です。