● 2018年11月18日放送
「収入は10分の1になったけど、やりがいは10倍。ストレスは無い。」
この言葉で、梅津先生の『人生を変えた偉人』は、なんとかつての同級生。
そして、今は三笑亭小夢師匠、噺家さんなのです。
落語家さんらしい楽しいお話をお聞きしました。
なんと、小夢師匠は、梅ちゃん先生とは高校で三年間、ずっと同級生でいらしたそうです。
立教大学を優秀な成績で卒業なさり、銀座の某有名出版社で8年間、会社員としてお勤めだった師匠なのですが、そこからいきなり落語家への転身。
その時の師匠の言葉が、冒頭の、梅ちゃん先生にとって人生を変える名文句だったのです。
師匠には、子ども時代から続けてきたことが2つあったそうです。
一つ目は、絵を描くこと。
現在も落語芸術協会の落語祭ポスターを手掛ける程の腕前です。
二つ目は、人前でしゃべること。
時は漫才ブーム真っ只中の学生時代、お笑いに取り組んでいらしたそうです。
お笑いコンビとしてずっと仲良くタッグを組んできたお友だちがいらしたのですが、そのお友だちが19歳にして山の事故で亡くなってしまったのです。
「こんなにあっけなく人は死ぬんだ。」
師匠にとって、運命を変えるほどの非常に大きな出来事でした。
そこから、仕事面でも健康面でも、自分でレールを引き直して進むことを選んだのです。
そうすると、出会いは転がり込んでくるものです。
お正月、炬燵の中で古典落語の台本募集の記事をたまたま目にした師匠。
「21世紀の江戸話?あ!これだ!これ、書こう。」
そして4本も書かれたとのこと。
「下手な鉄砲もなんとやら、火事場のなんとか力。選ばれなくても4本も書いたんだから、気にかけてもらえるんじゃないか?」と応募したのだそうです。
流石、もともと人を笑わせる素養があった師匠、なんと優秀賞を3つも獲得されたのです。
そうなったら善は急げ、会社の休みの時期だったこともあり、実家に帰ってご両親を説得し、会社を辞めて新しい世界に足を踏み入れたのです。
師匠の場合、原稿を書いてるうちに、もはや自分で喋りたくなり、「やりたいことをやらずに死ぬのはいやだ。」という思いも強く持たれていたのです。
身体も丈夫ではなかったことから、短時間の労働でできることないかと思っていたら、『落語』は15分で労働時間で終わるものです。
自分のペースでできるとあって、本当にこれこそが天職だと確信に変わったのでしょう。
志の輔師匠の元を訪れたのは、30歳の時。最年長でした。
新江戸話で取った優秀賞3本分の賞金を手に、スムーズなスタートを切れたのは、ご自身の信じる道を進み始めた故の『引き寄せ』の賜物でしょう。
その後、様々なことを経験しながら、今年で落語世界は18年目に入ったそうです。
さて、『落語』の醍醐味とはどんなものでしょう?
「ビールと同じで、生が一番。」と師匠はおっしゃいます。
ベテラン落語家であってさえ、動画では面白さは7掛けになってしまうのだとか。
そこへ行くと、ライブでの寄席は、噺家の熱量、息遣い、目の動きなど、お客様と一体となって創り上げる舞台と言っても過言ではないのです。
お客様と言えば、なんと寄席では、当日のお客様によってネタを決めるものなのだそうです。
お客様には修学旅行生もいれば、ご年配の方も来られます。
事前にどんなお客様がいらっしゃるかわかりませんから、来場された方々を見て、自分の持ちネタの中から選ぶのだそうです。
一個前にやったネタは出来ないし、二つ前の物もダメ。
そんな中での噺は、真剣勝負です。
冷蔵庫の中の材料を食べてもらって、お客さんにご意見を聞きながら作りあげるお料理や、ジャズのグルーヴセッションにも似ているといいますから、いずれも職人技です。
「落語は映写機で、スクリーンはお客様の頭の中にある。」と、小夢師匠。
これもまた名言です。
噺を覚えるだけでも大変ですが、更にそれを舞台の上で演じるのは、さらに大変です。
「修行に一番なのは、寄席です。」と師匠もおっしゃる通り、毎日が修行の連続なのかもしれません。
それでも、「ストレスは無く、やりがいはサラリーマン時代の10倍」とおっしゃるお仕事に18年もついておられる師匠は、とても恵まれた方と言えるでしょう。
ところで、『落語』というと、古典芸能というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、大衆芸能なのです。
『落語』は、現代の若い方でもハマる方は確実にハマる、とても楽しい世界です。
ぜひ一度足を運んでみてください。
最後に告知です。
12月に 国立最高裁のとなり国立演芸場に、小夢師匠が出演なさいます。
トリは三笑亭夢太朗師匠、そしてあの講談師初の人間国宝、一龍齋貞水先生も出演されます。
国立演芸場なので、入場料もリーズナブル。
今年一年の締めに、ぜひ楽しい『落語』で心を豊かにしてはいかがでしょう。
詳しくは動画をご覧くださいませ。