● 2018年2月18日放送
ほかにはない中山さんならではの切り口の『卑弥呼ファイル』のお話も、とうとう今回が最終回。
『卑弥呼』の存在が、今の時代にこそ重要なキーワードとなっている、意味と意義を語ってくださっています。
前回のお話にもありましたが、数千年も風雨にさらされ続けた古墳。
もはや肉眼では文字があることさえ分からない状態ですが、それを現代のコンピューターテクノロジ-が解析を可能にしました。
そこに眠っておられる方が誰なのかは、たった10年前までは伝説や推測の領域でしかなかったのですが、時を隔てた今の時代に、生き生きと蘇ってきているのです。
コンピューターをはじめとした現代の技術が、点だったものを線に、そして立体にして、さらに色付けまでを可能にしたのです。
そして、これまで定説だったものが、新たに少しベクトルを変えてきているのです。
たとえば、300年前までは天動説が定説でした。
その後、地動説が新たな定説となったのですが、現在は様々な大学の教授たちも、こう唱え始めています。
「地動説だけでは違う。両方動いている。止まっている物がない。つまり、天地動説だ。」
片方の存在だけでは、もはや成り立たないという事実を受け入れる時期がきているようです。
これは、二元性の統合とも言えるでしょう。
ここで、本題の『卑弥呼』の話です。
『卑弥呼』は鬼道を駆使して民を治め、朝廷を平定しました。
『鬼道』、即ち『鬼』の『道』です。
現在では『鬼』は、怖い悪いものとされていますが、本来は、大地の守り手でありグランドキーパーだったのです。
1300年前、役行者(えんのぎょうじゃ)という修験道の開祖も、鬼と仲良くなって、様々なプロジェクト、即ち偉業を達成したと言われています。
『福は内、鬼は外』ではなく、『福は内、鬼も内』という方が、本来は理に適っているのです。
良いか悪いかだけに目を向け、自分の目から見たものだけで判断し、それしか見ないという考え方では、不自然でアンバランスなことになるでしょう。
さて、西洋の女神に目を向けてみると、多面的であることがわかります。
神でありながら、美徳と悪徳、慈愛と残酷、両方を合わせ持っているのです。
そして、人間も同じように両面を持っているのです。
極悪人でさえも、清らかな部分はありますし、その逆も然り。
片方だけでは存在できないのは、ちょっと想像するだけでも納得です。
だからこそ、中山さんがこれまで唱えて来た『聖徳太子コード』と『卑弥呼ファイル』という二つが、どちらも必要だったのです。
聖徳太子=男性性、卑弥呼=女性性
つまりは、二極どちらも必要ということなのです。
また、聖徳太子は「和をもって貴しとなす」方でした。
これを一文字で表すと『和』
卑弥呼は、大混乱だった世の中を平定させた方。
こちらを一文字で表すと『平』
二つの文字を合わせると『和平』という言葉が生まれます。
この『和平』という言霊こそが、今の時代に本当に必要なエネルギーだということなのです。
男性がどんなに威張っていても、その男性は女性から生まれたのです。
だからと言って、女性も一人では子をなせないのです。
子どもによって未来が創られていきます。
永きにわたって先人たちが培ってきてくれたことが、良くも悪くも未来へとつながる叡智を生み、それらを活かすも殺すも私たち自身の受け止め方次第なのです。
さて、この『卑弥呼ファイル』は、本当に壮大なお話でしたが、これは、中山さんにしか成し得ない、数々の奇跡的なめぐり合わせの集大成です。
『中山』という苗字。
これは、『真ん中の山』
どこかに偏るのでなく中庸という意味にも取れる名前ですが、この苗字も、ある意味コードなのでしょう。
これほどまでの情報が得られたのも、遠い遠い昔、『中山』という苗字が誕生したときにこめられたコードが、遺伝子によって中山さんに受け継がれているからでしょう。
こうした『ご縁』によって、導かれたと思わずにはいられません。
そして、なんと中山さん、『卑弥呼』の時代からさらに700年以上さかのぼった神武天皇のお話も計画なさっているとのこと。
日本の天皇家の始まりに隠された謎が、また中山さんの手によって、浮き彫りにされるというのは、考えただけでもワクワクしてきます。
詳しくは動画をご覧くださいませ。
● 古代でありながら新しい『縄文エネルギー』については
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