2020年2月16日放送
色々な方が、様々な角度で2020年をとらえていますが、昨年は、色々なことがあった中山さんにとっても2020年は節目の年のようです。
そこで、中山さんから見た2020年についてうかがいました。
本日は2020年2月2日、『2』の連続の日なのです(諸事情がありまして放送日が変更となりましたことをお詫びいたします)。
明日は節分ですから、本当に節目なタイミングといえます。
『節分』とは文字通り『節を分ける』と書くので、新しいスタートの意味があります。
節分をもって、本当に2020年が名実ともに始まると考えてよい時なのです。
2020年ということで、数の上からもキリのよいタイミング。
そしてオリンピック(延期になってしまいましたが……)、今年の干支の子年は十二支のスタート。
色々な観点でスタートの年なのです。
中山さんは、昨年、被災したことによってご自宅を建て替え、立て直しされたそうです。
昨年一年は『龍宮神』というキーワードで、いろんな活動やお仕事をなさいましたが、今年は『鬼(オニ)』がキーワードなのだそうです。
本日、鬼の話が出来るのも、明日の節分の前ということと符号します。
さて、節分と言えば豆まきですが、豆まきの決まり文句は、「鬼は~外、福は~内!」です。
これ、いつから始まったのでしょう?
「起源は中国です。通常私たちは怖いものを『鬼』と呼びます。怖い嫁さんを鬼嫁といいますし、子どもを守る女性のスピリットを鬼子母神ともいいます。子どもを守るためなら鬼にもなる。そう考えると鬼は怖い悪者ではないのです」と、おっしゃると同時に、中山さんは以前から、鬼の扱われ方に違和感があったことをお話くださいました。
ここでちょっとお話を約1300年前に存在した修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)に移します。
伊豆大島に流され、その後3年間を洞窟に幽閉されました。
その縁もあってか、中山さんは伊豆大島に22年前(ここでもまた『2』が出てきます)に引っ越されたのだそうです。
役行者の開いた修験道は、他の宗教は、他の宗教とは違うのだそうです。
ズバリ、『ガイアの法則』といえる山岳信仰を説いています。
山の尾根を歩き、レイラインを歩き、祈り、護摩炊きをします。
これを人間の体に例えると、経絡にお灸を打つような感じです。
修験道と言うのは「自分に向き合う」と言う意味もありますが、歩くことで、この大地、地球、日本の国体の調整をしているのではないかとも思えるわけです。
日本列島はまさに『龍』の形をしています。
「修験道の言葉に『入我我入(にゅうががにゅう)』という言葉があります。ひたすら身体に鞭打って歩けば疲れてきます。でも、疲れを超えてランナーズハイにまで達すると、麻痺してくるのです。そうなると山を見ても笑い、木を見ても笑い…、さらに歩くと山が自分に近づいてくる感覚にまでなってくるのです。「自分が山なのか、山が自分なのか?」境界線が無くなって来るようなこの境地が『入我我入』と言われるものなのです」と、語ってくださいました。
さて、役行者は『前鬼』『後鬼』という鬼を従えていました。
彼らは夫婦で、前鬼が鎌で木を刈り、役行者が種を撒き、後鬼が水をかけるという共同作業していたそうです。
これは要するに種まき、豆まきをしているということなのです。
それであれば当然、「鬼は外」では豆まきにならないわけです。
「鬼は大地の守り手です。大地は日本列島そのものであり、それは丑寅の金神、つまり丑寅の方向に流れている金の川であり、神道的には国常立尊(くにとこたちのみこと)のことです。『鬼』を外に置いてしまうと日本の力が弱まってしまうのです」と、中山さんはおっしゃいます。
『鬼』は怖いから離れたいと思うかもしれませんが、でも本当は『鬼』とも仲良しになりたいし、河童や龍神様とも仲良しになりたいのが本来の人です。
この世の中は、人や動植物のように目に見えるものだけではありません。
伝説の中に存在する『鬼』や河童、つまり今の世の中とは周波数の違う生き物たちは、平安時代ではかなり人間と接触していたようです。
ただの伝説として語られるだけではないのです。
現在でも、子どもたちが読む絵本の中にも必ず『鬼』など不思議な存在が登場します。
きっと何かが確かに存在したのです。
「なので私は、今年は『鬼』を掘り下げて進みたいのです」と中山さんは楽しそうにおっしゃいました。
現代の私たちの生活の中にさえ、節分などの中に『鬼』が登場します。
過去から継承した大切な存在。
中山さん的には、今年のキーワードは『鬼』なのです。
私たちも、これを心に留めながら2020年を過ごしていきたいと思います。
「福は~内、鬼も~内。みんなうちわで、いやさか~」
詳しくは動画をご覧くださいませ。
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